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2010年06月

アメブロ転載:その言葉を使わない理由① 「社会人」

自分は「社会人」という言葉をあまり使いません。

そもそも社会人とは何か?ネットで調べたら
  1. 実社会で働いている人。学生・生徒などに対していう。「―になる」「―一年生」

  2. 社会の構成員としての個人。
ということらしいです。
これに対してなんとなく違和感を感じています。

自分が企業からの内定をもらい、大学を卒業する間際のときにバーで知り合った40代くらいの男性に「これから社会人になるみたいだから聞くけど、社会人とは?」みたいな事を言われました。

社会人とはなんて考えたこともなかったし、その男性が求めているであろう答えを取り繕って答えることもできただろうけど、作文みたいになりそうだし社会人という言葉の違和感があったから答えることができませんでした。

自分は”これから”社会人になるのだろうか?学生という言葉の対義語として使うのなら確かにそうなのかもしれませんが、自分の周りには学生時代から起業をしたり、一般に社会人と言われる人よりも行動力や人格がしっかりした人がいたりと、学生と社会人という区別はできない気がしていました。

また自分自身も自分がコミットしている組織で責任のある立場を経験したり、企業サイトの制作に関わったりと、学生だから責任が免除されるとは思っていませんでした。

社会の構成員としての個人が社会人なのだとしたら、ほとんどの人がすでに社会人だし。

世間的に社会人といわれる人でも責任を放棄したりだらしのないことをしている人はいますし、年齢が低くても危機感を持って行動し社会に影響を与えている人もいます。

新卒一括採用で「学生」が終わったら「社会人」というのはなんとなく違和感があります。

だから自分は社会人という言葉はあまり使いません。

ちなみにその男性の答えは「責任と礼儀がある社会にいる人」でした。
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2010年06月

アメブロ転載:野菜直売所に学ぶ「商道」

コンプライアンスは最近よく聞く言葉ですが、そもそもそういう言葉が注目されるようになってきたのが問題でしょう。

企業の不正が暴かれてニュースになることが多いです。おそらくニュースにならなくても不正は行われていると思われます。

一方で継続的に利益を得ながらもお客様のために働くという人たちもたくさんいます。

自分は武士道のような日本人の「道」という考えが商いにも必要であると常々思っていました。

身近な例で参考になったのが野菜直売所でした。自分の祖母は農家で野菜などを作っていますが、祖母は趣味で取れた野菜の一部を家の近くで直売所を開いて売っています。

趣味でやっているというのもありますが、直売所では利益を優先せずにそこに買いに来てくれるお客さんが喜ぶことを優先しています。

お客さんのほしい品物がなかったら畑に行って取りに行ったり、観光客が通りかかったら商品のトウモロコシをゆでてあげたりと利益には関係のないサービスをしています。(①)

何より祖母自身がそれを楽しんでいて、お互いが気持ちよく買い物ができます。(②) それによって常連客もいるようです。(③) 常連客のお客さんは逆にお礼として品物を持ってきてくれることもあるようです。 (④)

また、店に誰もいないとき、商品の対価の支払いは用意してある箱に商品の価格分のお金を入れる仕組みになっています。商品やお金を盗むことは簡単にできますが、そのようなことをする人はいません。

お客さんを信用してそのようなシステムになっています。たとえコンビニなどで万引きを考えるような人でも、農家のおばあちゃんが一人でやっている直売所で万引きを考える人はいないでしょう。(⑤)

まとめてみるとこんな感じです。

  • 利益よりも客が喜ぶことを優先する(①)

  • 仕事に心がこもっている (②)

  • 利益主義でないほうが結果として利益につながる(③)

  • いい仕事はお客に感謝される(④)

  • お互いに信頼関係がある(⑤)



まだまだたくさんあった気がしますが今思いつくことをとりあえず書いてみました。

商いにも「道」があるといいと思います。直売所は考えずとも「商道」を実践していると思いました。「商道」を持つ企業が増えれば不正も行われなくなるのではないでしょうか。

テーマ : 仕事論
ジャンル : 就職・お仕事

2010年06月

アメブロ転載:日本人の、幸せに対する熱意

 たいていの日本人は、衣・食・住に困らず最低限度の生活に支障はありません。生まれたときから安全な環境に育ち、適切な教育も受けることができます。貧困に苦しむこともなければ戦火におびえる必要もありません。信仰も表現も自由です。

貧困や戦争がなく自由に生きる道を選べる日本人と毎日の生活にも苦労する貧困国の人たちとは何が違うでしょうか。それは日本に生まれたということだけです。

以前中国の大学に行ったとき、とある中国人の日本人に対する評価に驚きました。中国は発展中で今の日本よりも勢いはありますが、それでも経済大国としての日本・日本人を尊敬していました。

ただその評価はトヨタやホンダといった一部の大企業の印象によるものだとも感じました。

われわれ日本人の多くはたいした努力をしなくても最低限の幸せな生活を送ることができるし、尊敬されることもあります。逆に貧困国の人たちは最低限の幸せを得るために必死に努力します。

努力をする気力や素質というのはどんな人でも持っていると思います。しかし自分が見る限り視野が狭いために努力を忘れてしまう人も中にはいます。

大学を卒業後、新卒で就職した企業に一生をささげ、30歳で結婚・2人の子どもを授かり安泰に暮らす。というのも最高の幸せですし努力を怠ってるとは思いません。しかし自分はあまり好きな生き方ではありません。

貧困国の人が努力をしてこの生き方を手に入れようとするならば、同じ努力をして貧困をなくすよう努めたいし、日本を始め先進国の人たちにはそれが可能だと思います。

幸せの形は様々ですが、自分はもっと広い目線を持つこともお必要だと思っています。

優秀で熱意ある人が広い視野を持っていないとしたらどんなにもったいないでしょうか。

日本人の幸せに対する熱意を世界に。

2010年06月

アメブロ転載:「食」に対する美学(個人的に) ~アンチグルメ

「空腹」を経験したことがありますか?食べなければ死んでしまいそうなくらいの空腹(表現ではなく本当の意味で)。前にブログにも書いたように(→ mixiに書いたマイビジョン)、自分は以前それに近い経験をしたことがあります。

そのときは本当に食べ物のある日本という国に生まれてよかったと感じました。そんな経験から、自分は食に対してのこだわりがあります。

それまでも、高校のアイスホッケー部で体を作らなければならなかったので食べ物は必ず完食するようにしていましたが、自分だけではなく人の行動も気になってくるようになりました。

口に合わないからといって食べ物を残したり、お店で食べられもしないのに多く食べ物を頼むということを見ていると残念な気持ちになることが多くなりました。

特にテレビ番組によく出ている「グルメ」と呼ばれる人たち。彼らは一体何者なんだろう。どんなに舌が肥えているのかはわかりませんが、目の前に出された食べ物を平気でまずいといえるのが自分には考えられません。

世界ではトウモロコシの粉をお湯に溶いたものを主な食事としている地域もあるのに、しっかりと味付けもされた最高の食品をどうしてまずいといえるだろうか。日本で出てくる料理はたいていおいしいものばかりだと思いますけどね。

以前自分が中国に行ったとき、確かに口に合わないものもありました。でも残すことはありませんでした。なぜなら食べ物を食べることができるだけで幸せなのだから。また、食を提供することはもてなしであり、食べることはそれに答えることだとも思います(文化によって違うが)。それが自分の食に対する美学です。

世界で生産される穀物の量は、世界中の人々の空腹を満たすだけの量があるといわれています。しかし実際にはその多くが先進国で在庫として保管されていたり、廃棄されたり、家畜用のえさになったりしています。少し前にはバイオエネルギーというのもはやり始めました。

今は、食の流通サイクルに(時に生産者でもある)貧困国などが入れていないと思います。
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